初めまして。
Happy work for you「幸せに生きるための、手段としての労働」をサポート
そんな思いで本ブログを運営しています。 具体的には、以下経験に基づく情報、事例などシェアします。
- 大手金融機関 営業経験
- 大手商社 データサイエンティスト&マーケター経験
- コンサルタント(IT、戦略領域でのマネージャー経験)
時には、ゲームやライフスタイル(トラベル・食・その他、猫情報)をシェア。
ご興味あれば、ぜひご覧くださいませ。
本日は “劣等感” について。必要な自覚と、快適なメンタリティを考える。
育ってきた環境が不遇、という免罪符
世の中には、自分より凄い人なんてのは、当たり前にたくさん居て。
「根拠ない自信」なんかくだらないモノを持って “一切折れることなく” 生きてきてしまうと、
途端に社会に揉み潰されたりするもの。劣等感なんて、そんなものだ。
例えばあの子は新卒で、英語はペラペラ、数理モデリングもスラスラ、財務書作成もさくさく。
「経験を積まなくとも」優秀な社会人なんて、たくさんいる時代。
チンケなプライドだけで自分の実力を語る先輩など、すぐに追い抜かれていく。
劣等感、など良く言うが、自分の実力は「別に普通の人間なのだ」自覚。
その気付く瞬間が遅いか早いか、
それだけの話だ。
客観性を学ぶ
「次の英語のミーティング、誰か議事録取れる人?」
「私、挑戦してみたいです」
あからさまなダイバーシティを謳って ”社員全員が、挑戦と向き合っている”
今の会社では特に多く見る光景かもしれない。
自分もその組織に身を置くことに価値を感じているし、手を挙げる積極性も併せ持っている。
今も、今まで通りの “成功するやり方” を、しっかり取っている。
なのに、なぜだか “僕は一番ではない” 。実際の社会では “アグレッシブさ” だけではないゆえに、だ。
寧ろ、その空間が一流であればあるほど、 ”前向きな気概” に付きあう必要などなく、
ダイバーシティなど一切の必要もなく、当然に「難なくこなせるヤツ」が上にあがるし、必要とされる。
”挑戦という名の練習” が許されるようなのは、契約に「同情」が含まれている場合のみだ。
一流の世界で ”実力のない者の挙手” など、往々にして通らないし必要ない。
私は、挙手と前向きさでお金を貰っている、そう感じる時もある。
チャンスは「降って来るのを待つ」
「無理して、成果を生まない “アグレッシブ” 」は、価値でも何でもなく、
「亀の歩みであっても、人のためになる行動」は、価値がある。
“価値を出すのが遅い” は、決して無能ではない。
劣等感を “あの人と同じように、振る舞わないといけない” そんな便利な危機感に使って、
“意味ないアグレッシブ” に活かしてはいけない。
努力はできる限りで、真っ当に認められて然るべきだが
「チャンスを掴み取ろうと欲張る回数」分だけ、精神も擦り減ったりする。
挑戦、は見守る人に負担もかかる。
「個人として得をしようとした行為なのに、チームとして大損」そんな事も全然ある。
だからこそ、率先して “手を挙げる” は、一概に良いとは言えない。
一方、「何も挑戦しないが、与えられるものは、一生懸命やり切る」
これは、他人に一切迷惑はかからないワケだが、“与えられているプレッシャーがない” 点が良い。
そんな前提状況というのは、リラックスもできて、意外とコトも上手く運んだりするものだ。
他人のスピードは「そのスピードで、社会に価値が出せる人間だから」
あなたは「どういうやり方なら、自分なりの価値が出せるか」で悩むべき。
精神的に快適な状況、を落ち着いて考えることは、決して遠回りではない。
是非とも ”挑戦に気負う時” 強がりの、参考にしてみて頂きたい。
コメント